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心に届く手紙屋さんです。
例年8月16日~18日、秋田県羽後町で日本三大盆踊りの一つ「西馬音内盆踊り」が開催されている。かがり火がともる幻想的な雰囲気の中、勇壮な太鼓とお囃子に合わせ、「編笠」や「彦三(ひこさ)頭巾」をかぶり、顔を覆った踊り手らが優美な踊りで街を練り歩く。
ずっと前から気になっていたが、ついに今夏行くことができた。
例年であれば、お盆過ぎれば秋風が立ち始める東北。今年は連日30度を軽々と越えている。うだるような暑さの中、夫とともに秋田方面へ向かった。途中、義父の故郷、横手市醍醐を通った。十年ほど前、義父母を伴い、義父のいとこを伴い訪ねたことがあった。その際、義父とそのいとこは再会を喜び、杯を重ねていたが、それから間もなくいとこが亡くなり、義父がなくなり、いとこの息子さんもなくなった。そして、一人残された息子さんの奥さんも高齢となり、住まいを引き払ったようで、電話も通じず、かつての家も見つけることができなかった。
神坂家のルーツもここまでかと切ない思いで、醍醐を後にした。
羽後町に着くと、ちょうど昼時。200年の老舗の蕎麦屋「弥助そば」を訪ねた。伝統が感じられる趣あるしつらいの店内で羽後名物「冷やがけそば」を頼んだ。羽後では、冷たいかけそばを「冷がげそば」といい、短めのそばはコシがあり、のど越しがよい。よく冷えたつゆの味も私好み、とても美味だった。
店を出ると、地元のおばさんに「盆踊りの衣装がたくさんあるから見てって!」と誘われるままに衣料品店をのぞく。色とりどりの「端縫い」の衣装が飾ってあった。今でこそ、パッチワークなどと言われるが、物のない時代、端縫いをして、布を大切に使う習慣があった。これこそがSDGsである。
亡くなった私の祖母も、よく布の端切れを使っては、大判の風呂敷のようなものを作ったり、自分の着物もあて布をして長く大切に使っていたことを思い出す。
おそらく「西馬音内盆踊り」の着物も先人の知恵と工夫で編み出されたものではなかっただろうか。
陽が沈み、月が上ったころ、7時半に盆踊りが始まった。町の人、観光客、どこからともなく大勢の人が集まっている。最初は子供たちとその親たち。9時になると踊りのコースに砂が撒かれるのを合図に大人の部がスタートする。
太鼓とお囃子、熱帯夜に加え、かがり火がさらに熱さをもたらす中、踊り手たちが先祖の魂とともに踊る。しなやかな身のこなし、足さばきの際、草履が砂をかみ、「ざざっ」という規則的な音が、踊りの合いの手のようにリズミカルに響く。
ゆっくりと踊りの列が目の前を通って行く様を、お囃子の舞台近く最前列で目を凝らして眺めた。「亡者の祭り」とも言われるこの踊り、ご先祖様の魂とともに踊っているような気がした。
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猛烈な暑さの中で顔を隠して1時間半踊り続けるのである。手が届くほどの近い席にいる私たちは、踊り手が酸欠になるのではないか、熱中症で倒れるのではと心配になり、配布されたうちわで踊り手に風を送り、励まし続けた。それに応えて、「ありがとうございます」と言ってくれた踊り手の方から、本部から配られた謝品のペンを頂いた。
▲喜びのあまり登場したご先祖様の魂!?
私たちの席に余裕があったため、立って見物していた女性に座るよう促したところ、外国人の夫と一緒とのこと。聞けば、東京に実家があるパリ在住のご夫妻だった。お礼にビールをごちそうになり、時折会話をしながら楽しい時を過ごした。後日分かったのだが、女性はアーティストで、ダンスにも深く関わっているとか。新たなインスピレーションが得られたのかもしれない。
▲踊り手の中には、町を離れて、遠くに住む人たちも盆踊りに合わせて、帰郷する人も多いという。かつてこの町に住んでいたが両親が他所に越し、「実家がなくなったけど盆踊りを踊るために石垣島から来ました」と語る女性と出会った。小学生の時から踊っていただけあって、しなやかで美しい踊りだった。
10時半に、お囃子の舞台の下に踊りたちが集まり、観客と一体となり、拍手でエンディングを迎える。
時空を超えたような感覚、時を忘れて魅了され、あっというまの3時間だった。
「つわものどもが夢のあと」、翌日の祭り会場あとは、昨夜の賑わいが幻のように感じる。
真夏の夜の夢か、道路に撒かれた砂だけが、盆踊りの痕跡を残している。
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