こんにちは、心に届く手紙屋さんです。
近年暖冬が続いていたが、今年は比較的冬らして寒さが戻っているように思う。
本来四季がはっきりしている日本、温暖化による暖冬は、雪が降らず人が過ごしやすくてよいものの、四季の温度がインプットされて育つ農作物や、動物にとっては危機的な状況と言える。そう考えると、来年の夏は猛暑も和らいでくれるではと期待するが、そう簡単にいくのかどうか。
私は雪国生まれで、家が大正時代から続く梨農家、今は兄が一人で、減農薬でりんご、ラフランスなどを栽培している。うちの果物はほんとうにおいしい。甘味が全然違う。とくにりんごを食べた時の鼻に抜ける甘い香りはほかのりんごでは決して味わえない。夏暑く、冬寒い盆地特有の気候、その寒暖の差がおいしい果物には欠かせないのだという。
兄は十代から早世した父に代わり、果樹栽培してきた。淡々と仕事を続けているが、近年の気候変動で思うように収穫できないときもある。春先にみつばちが少なく受粉できなかったり、収穫期にスズメバチの被害にあったりとさまざまだ。そんな兄は、農閑期の冬はスキー場にアルバイトに通うというスタイルを何年も続けている。だから、私が冬らしい冬であってほしいという願いは、兄のためというのがあるかもしれない。
私が子供の頃は、雪が深く、家の屋根ぎりぎりまで雪が積もることも珍しくなかった。
学校に行く時に除雪車が来ていなければ、父が踏み固めてくれた一本道を歩いて大通りまで出て行った。三日三晩吹雪ということもあり、仏壇に飾った花瓶の水が氷るほど。そんな中でも学校に行き、帰りにそろばんやピアノを習い、雪の降る夜道を一人歩いて家に帰るのは当たり前だった。 ある日、吹雪の中を歩いていた私は、道のわきのたんぽに灰色かがった緑色の大きな鳥をみつけた。なんとなく「白鳥の子どもがけがをしているのかもしれない」と思い、家に急いで帰り、母と車でその場に戻った。すると、鳥は飛んでいったのか、どこにもいなかった。その時のがっかりした気持ち、今も鮮明に残っている。果たして白鳥の子だったのかもわからないが、あの後どうなったのだろう。何かとても大きなものをつかみそこねた気分だった。
私が高校卒業後、仙台の大学に入ることになった時、周りの人たちから「雪が降らない
ところに行けていいなあ」と何人かに言われた。雪国から逃げたしたような気持ちになった。
以降、その言葉は呪文のようになった。
太平洋気候により、私が住むまちは冬でも晴天が続き、朝晩は気温が下がっても日中は洗濯も毎日できる。一方、私のふるさとは日本海側のため、寒く、雪が深く、曇りの日が多く、外に洗濯物は干せない。天気予報で、「大雪警報」や雪下ろしのニュースを見聞きすると、なんとなく申し訳ない気持ちになってしまう。 しかし、私は雪がとっても優しく、あたたかいことを知っている。雪道を歩いて芯から凍えた経験があるからこそ、その後のこたつやストーブの暖かさ、家族団らんの温かさがわかる。街灯に照らされ降りしきる雪の美しさ、堅く凍った雪の上をどこまでも歩く楽しさを知っている。
そして、冬の寒さを乗り超えて、迎える春の喜び、匂いを味わうことができる。
雪国生まれて、本当によかったと想う。
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