エッセイ

2月14日のマイバースティーに、母を想う

こんにちは。心に届く手紙屋さんです。

今日は、私の誕生日。冷え込んだものの、今日は晴天のよう。
一歩ずつ春が近づいていると感じる。

▲早朝の我が家から閖上方面

毎年、誕生日にゴディバのチョコレートを贈ってくださるSさんから、
いただいたチョコをいただきながら、コーヒーを呑む。
うれしいことに、誕生日が同じ友や、さまざまな友人、知人からも「おめでとうメッセージ」が届く。これもバレンタインデーが誕生日だからだ。

このところ、部屋の模様替えをしている。古い写真や手紙なども出てきたのだが、
その中に、4年前に天へと旅立った母からのハガキがあった。

宛名にある(私の娘)の文字に、胸が張り裂けそうになった。

母は亡くなる前、10年近く認知症だった。山形の実家から私のいる仙台に来る時、バスをどこで降りたらいいかわからなくなり、終点までいってしまったのが始まりだった。認知症のタイプには、怒ったり、人の悪口を言ったり、ものを盗まれたと疑ったりといろいろあるが、私の母はいたっておだやかで、いつも笑顔だった。「寒いなあ」「どこかにいこう」が口癖、いつも「はらへった」か「はらくっちい」のどちらかだった。

母が子供の頃に父親が亡くなり、母親が再婚したため、叔父夫婦に育てられた。代用教員をしていた頃、父と出会い、恋愛結婚。大家族の農家の長男の父のに嫁いだ。母は農作業がしたことがなく、反対されたが、祖母が「オレがめんどうみるから」と宣言したという。明るく、屈託ない母は父の8人のきょうだいからも慕われて、私を含めて3人の子を産んだ。リーダーシップのあった父は町会議員となり、そんな父を母が支えた。当時にしては珍しく、二人だけで映画館にいく時もあり、仲睦まじかった。その父も42歳で交通事故死。母は38歳だった。姉は大学生、兄は専門学校生、私は高校生だった。母の苦労はいがばかりだったか。でも母は暗い顔を見せたことはなく、いつも明るく、楽し気だった。

書道は師範、俳句を詠み、ちぎり絵。日本画も素晴らしかった。パッチワーク、手芸。
コーラス、なんでもこなしたが、おっちょこちょいで、よく「しでかした」ため、人に好かれた。今でも笑えるエピソードに事欠かない。誰にでも愛情深く、いつも優しく、わがままで自分勝手な末っ子の私は叱られた記憶がない。

「あなたの娘で本当によかった」
母が、この世からいなくなったことが信じがたく、たまらなく会いたい。

生前、母は私と姪を間違えたり(姪は私と誕生日が同じ、似ているところにあったから無理もないが)、へんなことを言ったりして、みんなに笑われることがあった。
今思うと深く傷ついていたに違いない。

そんな時、母は「みんな通る道だから」と言っていた。

年々、その言葉が身にしみる。
「みんな通る道だから」。恐れず、臆することなく、果敢に前に進もうと思う。

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一筆れいのプロフィール

心に届く手紙屋さん
新聞社、企画会社等を経て、フリーランスのコピーライターとして25年のキャリアがあります。
紙媒体、テレビ、webとフィールドは広く、行政から企業、団体、個人まで、あらゆるジャンルの広告、広報に現在も携わっています。
中でもインタビューを得意とし、年間100件以上のインタビューを行っています。
コピーライティング、インタビュー、編集、ネーミング、プランニング、印刷物のプロデュース、イベントの立案、
コピーライティング講座講師、コーディネーター、編集者、校閲、校正など幅広い業務で実績があります。宮城県仙台市を中心に活動中。
趣味/読書、映画、アート、音楽、旅、ドライブ、カフェ巡り、散歩
みずがめ座2月14日生まれ、血液型O型。
メールアドレス:kokoronitodoku@tegamiyasan.net 

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